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エンジニアキャリアの変化と進化〜個人の進化のために会社はどう変化するのか〜「Qiita Engineer Summit 2021」イベントレポート①

2021年7月21日、エンジニアとして活動している方を対象にしたオンライントークセッション「Qiita Engineer Summit 2021」が開催されました。これは、“This is Engineering”をコンセプトにしたもので、参加企業各社が考え、取り組むエンジニアリングについて語っていただく場です。

Qiita Engineer Summit 2021 特設サイト

第1弾のトークテーマは「エンジニアキャリアの変化と進化〜個人の進化のために会社はどう変化するのか〜」。変わりゆくエンジニア個人のキャリアに対して企業はどうあるべきなのか、そして、エンジニアキャリアの進化のために企業はどう変化していくべきなのか。それぞれについて、株式会社ビットキーおよびfreee株式会社の2社の考えや取り組みを語っていただきました。

登壇者情報

山本 寛司
株式会社ビットキー VP of Engineering / プロダクト開発統括責任者
ロースクール卒業後、ソフトウエアエンジニアとしてワークスアプリケーションズに入社。ERP製品の開発および評価に従事する。2018年、ビットキーの創業に参画し、分散合意アルゴリズムを活用した認証認可のプラットフォームの開発、スマートロックのハードウェア開発に携わる。現在は、VPoE 兼 プロダクト開発統括責任者として従事。

 

若原 祥正
freee株式会社 執行役員 / プロダクトコア事業部長
クラウドサービスの開発に携わった後、2013年6月にfreeeへ入社。モバイルアプリの立ち上げ、「freee会計」の開発マネージャーを経て、2021年現在も自らコードを書き、プロダクト開発全体を見守っています。

登壇者2名のエンジニアキャリア

--そもそもお2人がどのようなエンジニアキャリアを築いてきたのか、まずは教えてください。

山本:私がエンジニアリングに触れ始めたのは28歳からでした。それまでは法科大学院にいて、その後、幾ばくかの遊び人を経て前職のワークスアプリケーションズに入社し、そこで今のCEO・江尻と出会っています。
エンジニアリングに触れ始めたときは、正直、それ以外のキャリアがありませんでした。そんな中で入ったワークスアプリケーションズでは、いきなりエンジニアリング初心者を集めてプログラムをさせるという研修をやることになり、本当に必死でした。あらんかぎりの努力をしたのですが、それでも勝てなかったのが江尻でした。
キャリアという観点ですと、遊び人をやっていたくらいなので、そもそも描くなんてことはできておらず。それまで人生を無駄にした分、どこかで逆転しなければいけないという気負いがあり、それを考えたときに、江尻の「ビジョンを形にする」という部分に賭けてもいいかなと思ったのが、非常に大きな意思決定でした。彼が何かを立ち上げるときに、それに選ばれる技術者になろう。そんな自分自身の実現を描いて10年ほど努力してきた結果、ビットキー立ち上げのときに相談を受けて、2時間半くらい構想を説明してもらい、そのままジョインすることになりました。

--現在はVPoEということで、実際のエンジニアリングとは少し役割が変わってきているのかなと思うのですが、そこはどのように変遷されていったのでしょうか?

山本:私自身としては、VPoEというロールもエンジニアリングだと思っています。再現性や定着性をもってどのように創造力を支えていくか、という観点で技術領域の実現をはかっていき、それに向けて組織や文化とも向き合う。
まだ3年しか経っていないベンチャーなので、あらゆる技術領域に向き合って問題解決していくという思いに対して、都合の良い肩書きがVPoEなのかな、くらいに思っています。僕自身はエンジニアだと思っています。

--ありがとうございます。若原さんはいかがでしょうか?

若原:僕の場合もプログラミングを始めたのは結構遅めでして、新卒で文系就職したのちに、会社を辞めてプログラムの勉強をして、第二新卒でグループウェアを作る会社にUIデザイナーとして入社して、そこで3年ほど過ごしました。JavaScriptを書くのが好きだったのでフロントエンドに入っていったのですが、当時従業員数が5名くらいのfreeeに入社して、それこそ何でもやらねばならない環境にいる中で、どんどんとエンジニアキャリアになっていったという流れです。

--どのタイミングでキャリアを考えるようになりましたか?

若原:キャリアを意識したときは、文系からUIデザイナーに職種転向したときですね。周りの同期がすごく優秀で、どうしようかと考えたときに、自分が好きなUI周りを伸ばしていこうという戦略でUIデザインに入っていきました。まだAjaxという単語が出始めたタイミングです。この最初の強みの選択はすごくよかったなと、今でも感じています。
freeeの組織が拡大する中で徐々に僕自身のロールも変わっていったわけですが、先ほど山本さんがおっしゃっていた通り、組織マネジメントもエンジニアリングに通じる部分があるなと思っています。組織を良くするということは開発環境を良くするということでもあるので、より良い会社にするための基盤を作っているという意識です。

組織はエンジニアキャリアにどう向き合うべきなのか?

--組織を作る側の立場として、どういう組織を目指してこられて、その過程でどんな課題が発生したのか、教えてください。

山本:そもそも企業が抱える課題は多面的に存在すると思っています。何か1つが決定的にダメだからそこに対応すれば解決する、という類のものでもないので、非常に手探りだと言えます。その上で、すごく高い目線で見ると大きくは3つ、事業、財務、そして組織かなと思っています。
事業的な課題については、これからもどんどんと発生していくでしょうから、引き続き取り組んでいくべきでしょう。財務的な課題については、弊社は比較的恵まれていて、お金という資源を適切なリソースに変換して事業をドライブさせなさいと日々求められている状況です。組織課題については、簡単にいうと、会社が向かうべき方向性と個人の指向性をすり合わせていくプロセスかなと感じています。現在エンジニアは75人いるのですが、もう少し少ないタイミングでは、1人ひとりに寄り添うようにしていました。一方で人数が増えていくと、より団体戦みたいな戦い方にしていくことが大事です。まさにfreeeさんから学びたいところだなと思っています。

--エンジニアにしっかりと向き合うことが、会社としても価値があることだと。

山本:そうですね。ここに掲げてある「キャリア」という文字を「自己実現」に置き換えると、わかりやすいかなと思います。「組織はエンジニアの自己実現にどう向き合うべきか?」と問われると、どうするべきかが自ずとわかると思うんですよね。

--なるほど。組織規模としては、freeeはビットキーの次のステップにきていると思うのですが、だからこそビットキーが次に当たるであろう課題は何なのか、若原さんの考えを教えてください。

若原:僕たちの経験からして1番大変なのは、エンジニアの評価かなと思います。
最初の頃はそれこそひたすら作るので、評価の軸が「リリース」になります。それが、上場して社会的責任も増えてくると出すだけではもちろんダメで、いかに継続的に安心して使ってもらえるかだったり、開発側としても継続的に提供するための仕組みを作れているかが大事になってきます。そうすると評価軸も変わってくるわけです。
僕自身、freeeの初期のエンジニアマネジャーになった人間の1人ですが、3年ほど前くらいから、リリースだけではなくきちんとプロセスや中身を見るようにしています。マネジャーとして個人のチャレンジをサポートしていく中で、どんな軸が必要になるのか。当時、社内のエンジニアにヒアリングしていく中で見つけたのが以下の軸でした。もちろん、開発組織が大きくなるとまた別の軸が必要になるでしょうから、ずっと課題になってくるテーマかなと思います。

  • 失敗して攻めよう
  • 何でもやれる、何でもやる
  • 必殺技
  • カッとしてシュッとやる
  • 世話を焼いていくスタイル

エンジニアはキャリアにどう向き合うべきなのか?

--今度は個人から見た向き合い方です。個人としては、組織やキャリアに対してどう向き合っていくべきなのでしょうか?また、どうやって自分が作りたいキャリアに向かっていけば良いのでしょうか?興味あることをやっていくと、何だかふわっとしてしまうのかなと。

若原:個人的には「興味がある」という時点で、結構珍しいと思います。まずは何をやろうかというところから考えなきゃいけない人の方が大半だと思っていて、そこに寄り添うのがマネジャーの仕事かなと。やりたいことがある人って、それに合った仕事をマッチすれば良いので、意外と楽なんですよね。

山本:本当にそう思います。エンジニアとしてキャリア形成を実現していこうと思ったら、そこのWillの描きがすごく大切だと思っていて、私としても、自分が成していくことに素直であって欲しいと思っています。もっとカジュアルに、その人のやりたいことや目指したいことの意思って必ずあると思うんですよね。だからこそ、自分の内なる声に素直に向かって欲しいなと。
その上で、会社というのは、そういう1人ひとりの内なるエネルギー群のベクトルを、どれだけ事業の方向へと向けられるかが、組織のあり方なんじゃないかなと思います。

若原:まさに、そんなに仰々しく考えなくても良くて、ふとした時の感覚を言ってもらえるのがいいかなと思います。真剣に「キャリアとは」を考え始めると、分野が広い領域だからこそ、1個に絞れないと思うんですよね。

--エンジニアとしてその人に求めたいことと、その人がやりたいことがズレていることが往々にしてあると思うのですが、そういう時に会社としてどう向き合って行くべきでしょうか?本当はエンジニアリングしたいのにマネジメントを任せられてしまうなどです。

山本:すごくやりたいことがあるのに、その路線が任されない。これはすごくアンマッチで不幸なことだと思います。少なくとも弊社では、その方にどれだけ気持ちよくプレイヤーとして動いてもらえるかが、組織の個人への向き合い方だと捉えています。
もう1点、自分自身の内なるポテンシャルが違うような気がするというケースもあると思いまして、そういう時もマネジメントロールの仕事なのかなと思います。「確かにこれもいいけど、あれもすごい才能あるよ」と。その人がその選択をしたときに、3年後5年後にどれだけ成長できているかを、いかに寄り添って訴えていけるかが、すごく大切だなと思っています。

若原:例えば先ほどおっしゃっていた例の場合、マネジャーをやりたくないという人はとても多いんですよ。それは、マネジメント以外の選択肢がなくなることへの恐怖があると思うんですよね。
freeeでは、マネジャーの役割は「メンバーのサポート」という以外を厳密に決めていなくて、人によってはプロジェクトにコミットして背中で引っ張っていますし、人によっては後方支援に特化している人もいます。その人の趣味嗜好や多様性を重要視するようにしています。

個人の進化のために作りたい組織

--最後に、個人の進化のために組織として目指していることを、それぞれ教えてください。

山本:まずは外からの見え方として、「ビットキーを卒業してきたんだな」と言われる組織にしたいと思っています。ビットキーを卒業したのであれば優秀だよね!と言われるということです。
またそれに関わる個人としては、自分をデザインする力を高めて欲しいと思っています。先ほど若原さんがおっしゃっていた、そういう思いを持っている人がまだ少ないと言われているからこそ、自分でプロデュースできるようになっていただきたいし、組織としても関わっていきたいと思っています。
また、柔軟な組織でありたいと思っています。例えばキャリア論1つとっても1人ひとり違ってきますし、技術のトレンドも変化するし、マーケットニーズも変わるし、会社の状況も変わります。そんな中で、組織体がそれぞれのニーズや思いを満たしていけるような柔軟さをもっていて、そういう組織のあり方を許容して受け入れ、さらに発展させていけるような文化でありたいと強く思います。
もちろん、まだまだ全然できていないことばかりなのですが、だからこそ、みんなで議論しながら会社を一緒になって作っていきたいと思っています。

若原:難しい課題をちゃんと作れるようにしていきたいなと思っています。若い人ほど「ここでやることはもうないな」と思って去られてしまうので、そう思われないような課題設定ができ続ける開発組織でありたいなと思っています。

取材/文:長岡武司

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